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2009 best music 001

Moritz Von Oswald Trio
『Vertical Ascent』
oswald
(Honest Jon's/P-Vine)

モーリッツ・フォン・オズワルドがカール・クレイグと組んで、『Re-composed』というアルバムを出したとき、一番びっくりしたのは、テクノシーンを代表する二人が、クラシックを解体したとかそういうことよりも、オズワルドが自分の名をアーティスト名としてクレジットしたと共に、スリーヴでその素顔まで晒していたことだった。

「フェイスレス・テクノ・ボロックス」というフレーズがある。確か『NME』のライターがテクノ・アーティストたちの匿名性を揶揄した言葉だったが、今は亡きテクノ・レーベル、ライジング・ハイが、それを逆手に取って、自社のTシャツに引用したことで、日本でも有名になった言葉だ。

つまり「俺たちは顔のねえキンタマ野郎だ、誰がなんと言おうとそこに生きる」ということである。だとしたら、オズワルドはスジガネ入りのキンタマ野郎だった。


パ レ・シャンブルグやアソシエイツといったバンドでドラムを叩いていた時代は知らないが、少なくともオズワルドはマーク・エメスタスとベーシック・チャンネルというレーベル兼プロジェクトを始めて以降、その発展形とも言えるモーリッツィオ、ラウンド・ワン~ファイヴ、リズム&サウンドといった数々のプロジェ クトには、彼の名は一切クレジットされてもいなければ、アーティスト写真さえなかった。インタビューもほとんどNG。あるのはオズワルドとエメスタスという2人組のプロジェクトという最低限の情報と、CDやレコードに刻まれた、霧のようにくぐもったような反復音だけ。

それが今年に入って、自らの名を冠にしたトリオを結成し、ツアー、そしてアルバムの発表に関連しての『ザ・ワイアー』で表紙&ロング・インタビューと、今までのことはまるでなかったかのように表に出だしたのだった。

なぜ、自らの名と顔を掲げたのか。前述のインタビューは『スヌーザー』の76号にて和訳されているが、それを読んでも、その点に関しては触れられていなかった。
よって、これは推論に過ぎないのだが、自らの名を掲げた本作を世に出すということは、それまでの匿名性により築かれた実績を捨てる必要があったのだろう。実際、本作の日本盤の帯には、今までオズワルドが追求してきたミニマル・テクノの延長線上にあるとされている。
まあ、ミニマルは違いないとしても、では、本当にこれはテクノなのだろうか?

このトリオが追求したのは、曲名のリストに「Patterns 1/2/3/4」とあるように一つの音が反響しながら、いくつもの塊に拡散していく瞬間である。
ここでのミニマルとはテクノというよりも、もっと原始的なもの──それこそ、本作の発売元であるオネスト・ジョン、もしくはサン・シティ・ガールズが主宰するサブライム・フリークエンシーがコンパイルするような民族/現地音楽と言われるものに近いように思える。
もちろん、これをテクノと呼びたいのならば、それでもいいんだけど、かつて、石野卓球がテクノを「都市の民族音楽」と評した以上のものではないと思う。

得るからには捨てること。捨てたからこそ得たこと。本作はベーシック・チャンネル以降、霧の中にあえて身を隠していたモーリッツ・フォン・オズワルドという男が、マックス・ローダバウアー、ヴラディラヴ・ディレイという同志とともに、円の外に一歩踏み出した傑作だと思う。

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