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(チビ声で)ムードマン&L?K?O(コスる)の低音実験道場

以前書いた、池袋ベッドでのこと。トイレに入って、小便器の前でチャックを下ろして、位置を決めて、まさに放とうとしたとき、スピーカーからの低音でトイレの戸が一斉に震えたのだ。振動を体験したとき、そのとき、ムードマンとL?K?Oがまだ組んでDJをしていた頃に受けた、ある低音波状攻撃を思い出したのだった。

時は1997年2月21日の新宿リキッドルームで行われたイベント〈UNKNOWNMIX〉にまで遡る。以前書いた〈フリー・フォーム・フリークアウト〉(FFF)がデス渋谷系としたら、その異音同義的な「音響系」[*1]の精鋭を集めた、このイベントでムードマン&L?K?Oはある実験を仕掛けようとしていた。フロアの左側に設置されたDJブースには、その場にそぐわない大型バイクが鎮座していたからだ。といっても、彼らがDJプレイの一要素にバイクを持ち込んだのは、これが始めてではない。

unknownmix.jpgmoodman_bore.jpg

96年11月23日、明大生田校舎でのボアダムスの前座をやった時も、数台のターンテーブル、水道管で作られたディジェリドゥーとパーカッションと共に、それはステージ左手にどーんと鎮座していた。それぞれが所定の位置に付き、ターンテーブルからノイジーな電子音とスクラッチが飛び出すや否や、客の2、3人がステージに上がり、そのまんま人の渦へと飛び込んでいく。そのプレイが佳境に入ると、L?K?Oはターンテーブルを載せている台に乗り、マイクを持ち客を煽る。その瞬間、台が崩れターンテーブルから悲鳴のような音がする。興奮した客の一人が、3mぐらいあるスピーカーの上によじ上り、そこからダイヴする。そして終了間際、L?K?Oはバイクに飛び乗り、思いっきりエンジンを吹かすのだった。それらの音が止むと、客が腕を突き上げながら「ムードマン、ムードマン!!」。その中に二十歳過ぎの僕もいたのだった。


それにしても、なぜ、バイクなのか? それは彼らが当時、マイアミ・ベースにハマっていたからだ。ベースといえばローライダー。ローライダーと言えば、カスタム・カーとハーレー・ダビッドソン。前者は確実に会場への搬入が無理なので、後者になったと思うのだが、僕はバイクに疎いため、彼らが持ち込んだバイクが、ハーレーだったかどうかはよくわからないが、現物の写真を見る限り、たぶんそうだと思う。あと、彼らの視点が独自だったのは、マイアミ・ベースをローライダーのサウンドトラックとしてではなく、音響系の一種として捉えていたことだ。



ムードマンは、本名の木村年秀名義で『ミュージック・マガジン』での96年の年間ベストテンでの「音響系」という括りで、ボリスの『Abusolute Ego』、ディスクローズの「Visions Of War」[*2]、ホイ・ヴードゥーの『ファスト・ビデオ』をセレクトしている。「音響という切り口でチェックすれば、枠を外した音楽の聴き方は可能です」とし、その個人的なサンプルとして、マイアミ・ベースとクラスト・コアを挙げ、「物事を突き詰めて行く過程で産み落とされた音楽なので、音響的にもかなり独自な視点に着地している。本気で凄い」と賞賛している。

当初のオルタナティブへの視点から、今やラップトップでプチプチいわせてる奴らの総称へと成り下がった、このタームだが、そのA級戦犯(と僕は思っている)の佐々木敦も、この頃は「音響系」に同じものを見ていたと思う。そもそもの〈アンノウンミックス〉という言葉自体がそういう感覚を示していた。

ムードマンとL?K?Oが明大でやったことは即興の一要素としてのバイクだったが、この夜、二人は本気でマイアミ・ベースの音響をその象徴をメインに添えることによって、極端なまでに突き詰めようとしたのだ!

と、 大見得を切ってみたものの、当日、僕も彼らが何をかけていたかなどの詳細は申し訳なくなるぐらい覚えていない。ただ、覚えているのは、L?K?Oがバイク のキーを入れ、バイクをふかし、そのエンジン音をマイクで拾った時、スピーカーからドンドドドンという音の波に合わせて、低音で床が揺れたことだ。それは まるでフロア自体がカスタムカーのようにホッピングしてるみたいだった。断続的に二人はそのエンジン音をミックスする。その度に文字通りフロアはブンブン と揺れる。




それに併せて、フロアには排気ガスとバイクから漏れたとおぼしきガソリンの匂いが充満する。たぶん気分が悪くなった人もいたのではないだろうか。そんな「ハナタラシ、ガソリン流出GIG@都立家政スーパーロフト」みたいなインパクトのせいか、他のアクトは全然覚えていない。ヘアスタとかククナッケ、DOT、空手サイコなんか出てたっけ? かすかに記憶があるのは、ダブ・ソニック、ホイ・ヴードゥー、ホノルル・チューチュー・ピンク、身長2mぐらいだ。今、この世にいない人もいるから、印象が強いだけなのかもしれないが。



ところで、ヒューゴ・スッカレリが発明した「ホロフォニクス」というのをご存知だろうか? 僕もあまり詳しくはないが、バイノーラル録音を応用(そのまんまという意見もある)した立体音響の技術である。ズッカレリは第三者にライセンスを与えなかったために、それを最初に取り入れたサイキックTVを始め、マイケル・ジャクソン、ピンク・フロイド、ポール・マッカートニーらが独自の方法で、それと同じ効果を自分たちで作り上げたそうだが[*3]、この夜、ムードマンとL?K?Oがやったことも、図らずもそうだったのではないか。

もちろん、この夜のリキッドルームでの彼らの行いが、ホロフォニクスと同じだったという意味ではない。自分でも書きながら、少々大げさかなとも思う。でも、あれは僕が聴いたなかで、最もバーストした音響だったことは間違いないし、むしろ、ステレオ・ヘッドフォンで聞いてこそ、最も効果を発揮するというホロフォニクスよりも、彼らがアプローチした立体音響の方が、もっとダイレクトにフロアにいた人の脳と体を刺激し、それはこうして記憶として刻まれたのである。

TEIONFUHAI.jpg

これ以降、二人はクラブ・ジャマイカでの〈低音不敗〉という、マイアミ・ベースを基本にあらゆる低音を鳴らすパーティー(残念ながら行ったことなし)や、日本発のベース・コンピ『KILLED BY BASS』などで、低音に対する追求はさらに深く行われるが、DJとしてはお互いソロとしての活動がメインとなっていく。僕の記憶では、宇川直宏が主催したQバート&Dスタイルズの来日公演の際、DJクワイエットストーム、DJ ARIとセッションしたのが最後だったのではないだろうか。

それ以降はムードマンはハウスDJとして、L?K?OはバトルDJとして、それぞれ別の道を行くことになる。まあ、元のサヤに納まったという方が適切かもしれないが、ジャンルこそ違え「フロアに音をどう聴かせるか、感じさせるか?」という点において、二人はまだ、あの時の音響実験と同じ衝動を保ち続けていると思うのだ。


【補足】
[*1] そもそも、この言葉はパリ・ペキン~ロス・アプソンの店員だった軍馬修(故人)が言い出したものだったらしい。彼の人となりについては、中原昌也『12枚のアルバム』(boid)での虹釜太郎との対談に詳しい。

[*2] この7インチEPかどうかはわからないが、当時、L?K?Oはこの高知のクラスト・コア・バンドのレコードをスクラッチのネタとして使っていたという。

[*3] 日本でも開局当初のJ-WAVEがその技術を導入し普及させようとしていた。仕掛人はオカルティストとしても名高い八幡書店社長の武田崇元とその盟友だったメディア学者の武邑光裕。この件でズッカレリとの間でトラブルが起こっているのだが、その内幕を書いている雑誌が埋もれて見つからないので、その顛末はそれが見つかり次第更新。ちなみに同時期、武邑は芝浦ゴールドのプロデュースに携わり、イベント〈エコナイト〉を主催。前出のサイキックTVのジェネシス・P・オーリッジやリディア・ランチを招聘していた。
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