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僕はシンリシュープリームのライブを観たことがある

僕はシンリシュープリームのライブを観たことがある(*1)。

エレクトロニカからテクノ、フリーフォーク、果てはノイズやギターロックまで、一貫性のないリリースで賛否両論だった頃のファットキャットから突然デビュー。そして大分在住ということもあり謎も多く、一体どういう人がやってるのかという興味もあっただろうが、当日集まった客はなにより「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインと初期ジーザス&メリーチェインとスーサイドとメルツバウの出会い」とも称された音が、ライブでいかに演奏されるのかにあったはずだ。

何の変哲もないドラムセット、ただし、そのスネアの上にはギターが置かれている。そこに座った男は何の変哲もないフレーズを叩き、そしてギターを打楽器のようにスティックで叩く。

♪ギャーーン

エフェクターを通したギターノイズとその残響音をバックに男は単調なフレーズを叩き、頃合いを見て、またギターを叩く。

♪ギャーーン

僕が記憶している限り、シンリシュープリームのライブはこんな感じだった。ホントはギターによる弾き語りやセッションなど色々やっていたはずだが、あまりよく覚えていない。ただ、困惑していた。それはあまりに既存の楽曲と違っていたからだし、インプロということを加味しても、あまりになっていなかった。それは僕だけではなく、そこにいたほとんどの客は同じ思いだったように思う。

シンリがあの場でやりたかったことがなんとなくわかったのは、その3年後、プンクボイを前座に添えた想い出波止場の復活ライブを観た時だった(*2)。山本精一、津山篤を始めとした想い出波止場のメンバーは、既存のレパートリーをほとんど演奏しなかった。いや、やったかもしれないが、ギター、ベース、ドラム、サンプラーを使って、楽曲として練られ作り上げられる原型みたいな、音の断片をそのまんま、時には執拗に反復することによってずっと演奏し続けたことの方が記憶に残っている。つまり、あの時のシンリのライブはその一人バンドバージョンだったのではないかと。

シンリの音作りについては不明だが、本人の話から推測するにメンバーとして二人の名が記載されている1stアルバムでは、友人とのセッションテイクや自分で打ち込んだシーケンスをソフトウェアで組み立てたようだ。つまり、あのライブはミックスされる前の断片を、シーケンサーの自動演奏に頼らず、ギターとドラムを使って演奏することによって、想い出波止場と同様に自らの音の本質や魅力をあぶり出していく行為だったのではないだろうか。そんな風に思ったのだ。

前置きが長くなった。本作はワールズエンド・ガールフレンドのレーベルから出たシングルである。かつてフリーダウンロードで配信された楽曲群より5曲を選び、さらにアレンジ、ミックスを練り直したのだという。

M-1「Seaside Voice Guitar」でのボーカルをもかき消すようなハーシュノイズのインパクトが強いこともあってか、一部ではそっち系でとして評されてるようだけど、全体を通して聴くと、それよりもマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』で、ケヴィン・シールズが執拗なアレンジとミキシングへのこだわりにより、無意識に表出したエラー・ミュージックとしての側面と共通するものを強く感じる。その過剰さを何かジャンルにあてはめるなら、アンディ・ウェザオールが1stアルバムのリリース時に「初期クランプス以来、最高のロック・ミュージック」という称賛を寄せたように、一つ一つの断片をこの上なくけたたましく鳴るように尖らせ、殺傷能力を高めた兇悪なガレージ・ロックなのだと思う。

最近出た、奇形児の7インチEP『嫌悪』(ADK/Crust War)は、ガジ〜サーモのメンバーだった君島結のエンジニアリングにより、ADKレコードの主宰者だった故タムのそれを思わせるガビガビな音像で、聴いた者の心に残留感を与えるような代物となっていたが、シンリシュープリームもまた然り。あの時、一緒にシンリのライブを目の当たりにした数十人の観客のうち、どれだけの人が本作を聴いてるのかはわからないが、あのライブと同様に「自らの音の本質や魅力をあぶり出す行為」として、被弾したこちらに言いようのない残留物しか与えないのである。

*1:2006年6月25日、『Music Is Free』@西麻布バレッツ
*2:2009年6月8日、新大久保アースダム


xinli4bomb.jpg
XINLISUPREME
『4 Bombs』
(Virgin Babylon VBR-009)



音質やミキシングが産むオリジナリティ

新旧のカルトなブラックメタル〜デスメタル系を中心にリリースする、ニュークリア・ウォー・ナウ!という、ヨウスケ・コニシなる日本人がアメリカでやっているレーベルがある。数年前、ハマった時期があり、ちょこちょこ買ってたのだが、2009年にベルリンで行われた同レーベルの初めてのフェス〈Nuclear War Now! Festival〉の出演者によるコンピレーションを最近聴き直したとき、自分がこの作品においては個々のバンドの楽曲ではなく、そのレコーディングをした環境と使用機材が生んでしまった音質やミキシングのバランスを重点的に聴いてるのではないか、そんな風に思ったのだ。もちろん、ジャンルがジャンルだけに、どの連中もいわゆる「RAW」を追求してるのだが、それなりにちゃんと録ってるものもあれば、異様にモコモコしていて出音が低いものもあり、個々でOKとしている音の定位感が全く違うのだった。そこに僕は音楽性以上オリジナリティを感じたのである。

だとしたら、今年の〈B-BOY PARK〉に合わせ、ユッカなる女性がツイッター上で楽曲を募集して制作/販売された『かなへびコンピ』なる、アンダーグラウンド日本語ラップ〜ヒップホップ・コンピも、先物買いというのもあるが、「音の定位感」という本来の目的からズレてるであろう範疇でも楽しめた作品である。

ラップやトラックそのものよりも低音が異様に目立ってしまっている曲(意外に多い)。トラックのシンセの高音がキツ過ぎて、肝心のラップより目立ってしまってる曲。カセットMTRで録ったのではないかと思わせるロウな音質な曲。逆に異様に出音が大きい曲……などなど、パソコンの同じようなソフトウェアを使って制作・録音されたものだろうと思われるにも関わらず粗っぽくバラバラ。一応、ヒップホップというバトル性が強いジャンルということもあって人気投票も行われたようだが、むしろ、僕は個々の曲に「良い/悪い」の上下ではなく左右の違いというものをそこに感じた。日本語ラップ〜ヒップホップの基本である「ラップの技術」とか「トラック制作の云々」とかの約束事は向こうに置いたうえで、ニュークリア・ウォー・ナウ!のコンピ同様、音質やミキシングが個々のアーティストのオリジナリティを示していると思わざるを得ないのだ。

いや、オリジナリティで言うならば収録曲そのものだけではなく、制作者その人にも言えるのかもしれない。今のヒップホップシーンの主流であるミックステープやバンドキャンプを使ってのネット配信ではなく、わざわざCD-Rに焼いて500円で売るというアナログさ。そして、なによりも自筆のイラストによる、このジャケットだ。モノクロのコピー印刷というのもあるかもしれないが、その絵柄はヒップホップというよりも、カムズや奇形児、ソドムなどの初期ジャパニーズ・ハードコア・パンク。もしくは前出のヨウスケ・コニシだったら勘違いして喰いつきそうな異国のプリミティブ系ブラックメタルといった系統に通ずる匂いを発しているのである。ちなみに本作はあるイベントで知り合いにユッカ女史を紹介され直で買ったのだが、彼女自身はあくまでヒップホップが好きで身銭を切って作っただけで、そういうハードコアやブラックメタルに関しては全く知らないようだった。

いや、何を知ってるか知らないかなんてのは、全くもってどうでもいい。確かに失敗しているところはある。未熟なところもある。チグハグで噛み合ってないところさえある。突然段ボールのアルバム名じゃないが、本当に「成り立つかな?」。そして、その?マークはどこまでもつきまとう。しかし、本作の一番の魅力とは、携わった各人が無意識のうちに持っているアンバランスさが産み出すパワーだと思うのだ。表現そのものよりも、それを送り出す方法論ばかりが取りざたされる昨今、愚直なまでに「自主制作」であることを感じさせてくれる愛すべき盤である。

ちなみにさっき「上下ではなく左右の違い」と書いたが、それでも一つ個人的なお気に入りを選ぶならば、M-7のALOHER「Kaello Canah」がグッと来ました。


kanahebi.jpg NWN.jpg
L:V.A.『かなへびコンピ』(かなへび屋)
R:V.A.『Nuclear War Now!』(Nuclear War Now!)


解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いは美しい

そのすべてをチェックしてるわけではないが、少なくとも近作のオー・ノーとのユニット、ギャングレーンのアルバム。そして、かつてのカレンシーはもちろんのこと、オッド・フューチャーのドモ・ジェネシスとのWネームによる最新ミックステープ『でも、ネタはどうであれ、愚直なまでにワン・シーケンスをループする「90sヒップホップ」の魅力をキープし続ける男、というイメージが強かったジ・アルケミスト。しかし、ソロとしては約3年ぶりの新作となる本作に関して言えば、自らのトラックにラッパーを起用して出来た曲で構成する、という形式から逸脱した制作方法(錬金術)をとったためか、世にも奇っ怪なシロモノとなっている。

フリージャズやサイケデリック・ロック、どこの国とも知れないポップス、ソウル、フォーク、ライブラリー・ミュージックなど(と思われる)のレコードを次々とターンテーブルに乗せ、その盤の溝に盲滅法に針を落とし、そうして取られたサンプルをエディット組み立て、45分のコラージュが出来上がる。さらにそれを30のトラックに分け、そこにロック・マルシアーノ、エヴィデンス、ギルティ・シンプソン、ダニー・ブラウン&スクールボーイQ、ウィリー・ザ・キッド、アクション・ブロンソン他多数のゲストラッパーの声を適当にハメこんでミックスダウン、以上!  という感じ。

もちろん、その通りに作ったわけではないだろうが、サンプル素材と各人のラップとフロウを一つの音と捉えたチープでザックリとした質感の音声詩+テープコラージュ、と言ったほうがピッタリとくる本作は、自身が
『HipHopDX』のインタビューに答えて「メーン! もし、アンタがこのプロジェクトについてのプロトゥールズのセッション画面を見れば、オレのことを正気じゃないって思うだろうね」と豪語しているように、まさしく「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い」のようである。

「解剖台〜」とは、後のシュールレアリズムにも影響を与えたと言われる、ロートレアモン伯爵の散文詩『マルドロールの歌』の中での1フレーズから引用した有名な比喩だ。基本、学がないので恥をしのんで言うと、その作品は読んだことないし、周辺知識もゼロに近いのだが、ナース・ウィズ・ウーンド(NWW)の1stアルバムの題名『Chance Meeting on a Dissecting Table of a Sewing Machine and an Umbrella』の由来となっている事だけは知っていた。まあ、そのまんまなのだが、実際、このアルバムを始めとした初期NWWの音は、中心人物のスティーブン・スタップルトンが、同作のインナーに記載されている
〈NWWリスト〉に載ってるアーティストの音楽をまんまコラージュして作り上げていたという話がある。もちろん、アルケミストがNWWを意識していた事実なんてどこにもないが、前出のインタビューをなんとなく斜め読む限り、本作に関して言えば、サンプリングというより、カットアップ/コラージュという手法の方に自覚的なようだ。

ちなみに、僕はシカゴのジューク/フットワーク・コンピ『Bangs & Works Vol.2』収録のDJ Tホワイ「Orbits」でも、初期NWWを比喩として使っているが、それはノイズ〜前衛音楽におけるカットアップ/コラージュが政治的や批評的な論理が前提してあるのに対し、NWWの場合は対象の音そのものが持つ魅力が先にあるように思うからだ。中原昌也が初期NWWを紹介するときに引き合いに出したピチカート・ファイブに代表される渋谷系のように、とどのつまり「自分が好きな音楽を引用すればイイ音楽が作れる(かも)」ということ。年代やジャンル、制作方法の違いこそあれ、その元も子もない原則において、アルケミストの本作でとった手法とNWWの存在は点と線で繋がるのだ。

とはいうものの、僕は別にアルケミストおよびヒップホップをアヴァンギャルドと結びつけて悦に入りたいわけではない。90年代後半のNYで、その二つを意識的に結びつけた〈イルビエント〉なるムーブメントがあったが、個人的にそれらはどこか鼻につき、興味を覚えることはなかった(センセーショナルの1stやクレイジー・ウイズダム・マスターズの10インチEPなど、
ジャングル・ブラザーズの3rdがメジャーでお蔵入りになったことにより生まれた鬼っ子的諸作をサポートし、DJ/ラプチャーが出てきた場なわけだから否定はしないけど)。そもそも、自分で持ち出しときながらなんだが、アヴァンギャルドという概念自体、現代にどれだけ有効性があるのかも疑わしいし、NWW/スティーブン・スタップルトンよりも他にもっと適した比較対象がいたかもしれないとも思う。それでも、本作にそれらの単語が頭をかすむのは、「なんだかよくわからないが、新鮮な驚きを与えてくれる音楽」へのプリミティブな衝動と可能性をビンビンに感じるからなのである。

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THE ALCHEMIST
Russian Roulette
(Decon DCN-162)




色々書いたが、要はこのPVのように、いろいろとチープでテキトーでザックリした感じです(ネタにGGアレンと『コドモ警察』が!)。

ポップはそれ自身に喰い荒らされてしまうだろう

以前、ディアンジェロの完成間近と噂される新作について、参加しているザ・ルーツのクエスト・ラヴが「(ビーチ・ボーイズの)『Smile』のブラック・ ヴァージョンだ」と発言していたのを見て、ずいぶんとまあデカく出たなあと思ったものだが、グラビアアイドルとして活躍する小池唯(YUI)をセンターに草野日菜子(HINA)、和田えりか(WADA)で編まれた、トマトゥンパインの2ndアルバム『PS4U』のタイトルもまた然り。なぜならばPop Song For You、つまり「君のためのポップソング」という意だからだ。『Smile』制作中のいけないおクスリをキメキメして分裂がかってた頃のブライアン・ウィルソンだって、何年か前まで似たような状態だったらしいディアンジェロだって……いや、だからこそ、そんな大層で直情的なタイトル付けなかったよ。

しかし、アルバムの始まりを知らせる電車の発車ナレーションとベルを模したイントロに、スキャットマン・ジョンの「Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)」を下敷きにしたトマパイのテーマ曲「Train Scatting」で始まり、間髪入れず2曲目のダンスミュージックアンセムな「ワナダンス!」へと入るサワリからして、そのタイトルが単なる誇大妄想でなかったことを知るだろう。以下、ラテンフレーバーな「踊れカルナヴァル」、モータウンポップ風な「シングルガール女性時代」といった新曲やシングル曲。パフィーやZONEのカバー。そしてリプライズ的に鳴る「ワナダンス!」のインテグラル・クローヴァーによるリミックス・バージョンで締めるまで、プロデューサー集団〈アゲハスプリングス〉が手がけるダンスポップを軸にしたトラックもさることながら、アゲハの主宰者である玉井健二と作詞家&コラムニストのジェーン・スーの共作による歌詞も含めて、とにかく楽曲とコンセプト・アルバムとしての構成の素晴らしさだけが際立っているのだ。

一部ではトマパイが3人組であること。アゲハスプリングスがYUKIの「メランコリニスタ」や元気ロケッツの「Heavenly Star」などのようにクラブ・ミュージックを意識した楽曲制作で知られる事もあってか、パフュームと中田ヤスタカを引き合いに出す向きもある。確かにオートチューンの多用とソフトウェアで完結するような制作手法は同じかもしれないが、本作に関して言えば、音楽的には似て非なるものではないだろうか。なぜなら、中田が見せるフレンチエレクトロを始めとしたクラブ・ミュージックへの忠実さよりも、某レコ屋で本作がブース展開されたとき、筒美京平のディスコ歌謡コンピが関連商品として一緒に置かれていたという事実が示すように、
トマパイの楽曲には歌謡曲〜ポップスが持つ、どこかうわっついた雑多さを感じる。

そういう意味でも特筆すべきが、M-12の「そして寝る間もなくソリチュード(SNS) 」だろう。歌い出しの入りはピコピコとしたキュートなテクノポップなのだが、次の小節にはベースラインが加わり、そして次の小節にはギターが、というように曲が進行するごとに音の要素が増え厚みが加わっていく事により、ヘヴィなギターサウンドへと変化(同時にラップのように散文的で韻を踏んだような歌詞も皮肉というか毒が増していってるようにも思える)。そして、2番のサビ部分でギターの速弾きとともにブラストビートが鳴り、一気にデスメタルへと化すのだ。

極端な例かもしれないが、個人的にはこういう、一見相容れないような極と極を見事にモーフィングするようなアレンジこそ「君のためのポップソング」が持つ醍醐味だと思うのだ。Pop Song For You、略してPS4U──とにかく、そのタイトルに不足なし!


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Tomato n'Pine
PS4U
(ソニー/SRCL-8035〜6 *初回生産限定盤)



個々の思い思いの型とそのズレに思いを馳せる

プラガ・ソム・システマのブレイクにより、有名になったポルトガルはリスボンのストリート・ダンス・サウンド、クドゥーロをプラガ〜の仕掛人、J・ワウがコンパイルした決定版が本作だ!──と、キャッチを適当にアレンジしてみたが、ローカリズムを反映して、細分化し続ける昨今のダンス・ミュージック・シーンに登場した新たなサブジャンルに期待しつつ、いざ、1曲目のニック・サーノの「Mana Wasa」を聴いてみると、適当なサンプリング、ピッキピッキな電子音、愚直なまでに四つ打ちのビートが産み出す軽々しいノリに、90年代半ばにバカとアホの狭間を全力疾走で駆け抜けた、シカゴのゲットー・ハウスを強く感じたのだ。というか、そのまんま。そして、どっからか湧いて出てきたような連中が次々と曲をひねくり出して最後の曲に至るまで、その印象は変わることがない。

サンプルネタやリズムの間はなんとなくなポルトガルっぽさを感じるし(そもそもこの国固有の音楽性がよくわからんが)、何よりサンプラーとTR-909だけで作っていたと言われる本家に比べれば、基本ソフトウェアで作っている、これらクドゥーロの音像はエッジが効いていてクリアな印象を受ける。だが、ここにあるのは確実にゲットー・ハウス、ひいてはマイアミ・ベース(さらに遡ればPファンクか?)から連綿と続く、ブーティー・ミュージックの血脈なのだ。言わずとも知れるだろうが、タイトルからして「激しくケツを振れ!」なのだから。

とはいえ、クドゥーロとゲットー・ハウスの相関関係はハッキリとはわからない。実はクドゥーロ側は全く影響なんて受けていないのかもしれない。でも、ダンス・ミュージックとは目的化された音そのもの。個人的な感覚で言わせてもらうなら、空手でいう「型」と同じなのだと常々考えている。いとうせいこうのエピソードで、少年時代に通信講座で空手を習っていて、その昇段試験は型のポーズを自分で写真に撮って講座を主催している会社に郵送し審査してもらっていた、という笑い話があるが、本作を聴いていると、お手本を参考に見よう見まねでとった、個々の思い思いの型と、そのズレこそダンス・ミュージックなのだと改めて思い至るのだ。その上で、2010年代のニック・サーノ(ボク・ボクでも誰でもいいけど)と1990年代のDJファンク(ポール・ジョンソンでも誰でもいいけど)が作る音が偶然似て聴こえてしまうというのは十分あり得ることだろう。

2マッチ・クルーのぽえむが、前出のDJファンクやポールジョンソンが所属したシカゴのゲットー・ハウスの総本山的レーベル、ダンス・マニアについて「ゼロ年代以降、脚光を浴びる、バイレファンキやボルチモア、グローカル・ビーツと呼ばれる世界各地のゲットー・ベース・ミュージックの元祖といえるにもかかわらず、その切り口で語られる事はあまりない」(『音盤時代』Vol.1/2011年夏号)と書いているが、まさしく、本作に収められた音の数々はそのジレンマを埋めあわせるような感じだ。まあ、クドゥーロもゲットー・ハウスも音楽の構造そのものが、聴き手にこのような過剰な思いを抱かさせなければ埋め合わせられないぐらい、どうしようもなくスッカスカというのもあるのだが。

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Various
『Hard Ass Compilation』
(Enchufada/Octave)


プロキシマルからディスタルへつなぐねじれた神経の線

本作はピンチ主宰のテックトニックから出たディスタルの1stアルバム。その日本盤CDにはこんなことが書いてある。
「これはダブステップ発ダーティー・サウス経由のTHUG-STEPだ!」
あなたはこれをどう思うだろうか。それでも聴こうと思うだろうか。自分すか? 昔のエイベックス系ダンスコンピのような煽りコピーにとりあえず爆笑させていただきました。別にバカにしてるわけではなく、いい意味で。でも、あとで色々調べてみたら、レコード会社が考えたものではなく、本人発信みたいだけど。

それはともかく、試聴機に入ってたので、再生ボタンを押して、適当に再生してはスキップしながら聴いているうちに、その笑いは徐々に凍っていった。それはその名称にふさわしいような度を超した電子音や低音が耳を襲ったからではない。むしろ、音の抜けが悪くチープな音像が広がったからだ。

ライナー(文:飯島直樹)やその引用元である『Data Transmission』『Daily Prinstonian Street』『dubspot』などのインタビューを引っ括めてみると、ディスタルことマイケル・ラスブン曰く、他人が311やベター・ザン・エルザなどに群がってる頃、フガジやフランク・ザッパを聴き始め、プライマスのファンにもなった彼が12歳の頃には初めて観に行ったライブはヘルメットだったという。そして、なによりアトランタ出身ということもあって、スリー・6・マフィアやゲトー・ボーイズなどの初期サウス・ヒップホップにも開眼。そのうちテクノやジャングルも聴くようになり、プロキシマルという名義ではブレイクコアをプレイ。それがダブステップにそれたのは、ピンチの「Punisher」を聴いたからで、音楽制作もここから本格的に始め、2010年には自身のレーベル、エンバシー・レコーディングス設立。また、ゲットーハウス/テックや(ご多分に漏れず)ジュークにも影響を受けており、いつの間にかデトロイトからアトランタに移住していたDJアサルトがレジデントを務めていたパーティーがその源らしい。

と、そんなあれこれが反映されたのがディスタルの音楽性ってやつなのだが、その履歴が示すように、全体的に雑な印象を受ける。TB-303やシンセのウワモノをサウス風に「ボコン、ボコン」と刻むTR-808という構造や、ベースラインとリズムの軸はダブステップ風かもしれないが、前述したようにどこかダイナミズムに欠け、「自称・サグステップ」のイメージを全うするにはスッカスカ。でも、その「スッカスカ」さがディスタルの個性となっている。303も808も実機ではなくサンプリングによるものらしいが、まさに「初期のダーティー・サウスの曲は、アナログ・テクノみたいだよね。暖かくて丸くてダークなんだ」という自身の発言をシーケンスの組み合わせだけで体現したものだと思う。

ただそれがあさって方向にエクストリームな形で現れたのが、M-9の「Gorilla」。ノイジーな電子音響にピアノが被せられ、さらに例の「ボコン、ボコン」という808のリズムが重なるだけ。そのウワモノとリズムは交錯する事もなく、ヤマなしオチなしそしてイミもなく5分09秒を平坦なまま駆け抜ける。たぶんジュークを意識してると思うのだが、人の心を躍動させないし、体が踊りたくてウズウズする事もない。アルバムには残念ながら未収録だが、「Stuck Up Money」でディスタルともコラボっているDJラシャドが、ジューク/フットワークのもとに作ったストレンジ・ノイズ「Reverb」の影響を感じさせない事もないが、むしろスロッビング・グリッスルや(初期の)キャバレー・ヴォルテールを思い浮かべる。聴いてるだけで室温が5℃くらい下がりそうなダークな変態トラックスだ。

なにはともあれ、楽曲のベースにあるものは、やはりピンチの「Punisher」なのだろう。なんとなくだけど、ビートやシンセの音色の端々にそれを感じ取る事が出来る。もし「Punisher」がマイケル・ラスブンのプロキシマル(中枢)としたら、彼がロジック9でシコシコ打ち込んで出来た「Gorilla」を初めとした奇怪な楽曲群は、確実にそのディスタル(末梢)なのだ。その神経をつなぐ線はかなりねじれてるけど。

distal.jpg
DISTAL
Civilization
(Tectonic TECCD-014/Pヴァイン PCD-93553)



ボイラールームでのDJプレイ。しかし帽子の文字は……。予想通りとはいえ、たぶん頭やられてるんだろう。

おのれの手に握りしめたモノ一つだけでパッドを叩け!

正直、僕はラージ・プロフェッサーのいいファンとは言えない。しかし、4枚目のアルバムとなる新作『Professor @ Large』をレコード屋の試聴機でしょっぱなの「Key To The Chain」を聴いた時、パブロフの犬のようにのどの奥から甘味がかった唾が出てくるのを感じたのである。

なにせ♪チャッチャララ〜ンというファンファーレめいたサンプリング(ブルー・ミッチェルの「Ojos De Rojo」らしい?)が高らかに鳴ったかと思いきや、待ってられないぜ!とばかりに、本人が食い気味にラップし出すのだ。スクラッチがロブ・スウィフトだということも含めてたまらんでしょう、これは! 以下、バスタ・ライムスが参加したM-3「Straight From The Golden」、インスト曲などもはさんで迎えるラストのロック・マルシアーノやサイゴンなど新鋭のMCたちが参加した「M.A.R.S」に至るまで、サンプルとキックとハットとベースライン、そして、その言葉を発するまでの息づかいさえ感じられるラップ、その絶妙な配置は聴く者を無駄に燃えさせるのだった。

そのプロダクションについてはライナーによると、既にオールドスクール直伝の「オリジナル盤からサンプリングする」という方法論にこだわりはなく、MP3ファイルをMPC4000に取り込んで組み立てた曲もあるそうで、それはそれで残念に思われる向きもあろうが、その結果出来たトラックはポール・C師お目付のもと、レコードからブレイクを拾って、SP-1200にブチ込んで切って貼ってしていた頃のビートの質感と変わらない気がするのだ。いや、そのキャリアや才能がどうというよりも、ラージが自分の手の内に握られた一つのものでしか作ってない、そこに本作が持つ一番の魅力を覚えるのだ。

そして、その手にした「一つ」が産み出すシンプルな声とグルーヴの絶妙な配置とその魅力とは、アイワビーツ・イズ・タイムスライスを名乗るトラックメイカーにも当てはまると思う。

アイワにとって初の(?)フィジカル・リリース(プレスCD)となる『Low Blend Theory』は、その題が示すように、90〜00年代の新旧ヒップホップのアカペラを使用したブレンド集なのだが、まだ20代後半のはずのアイワはとにかく聞き込む事によって、原曲が持つグルーヴ感の髄液を自らに染み込ませ会得したのだろう。君は各々のグループやクルーの周りにいたのかね、と問いつめたくなるほど、その相性たるや抜群だ。

特に素晴らしいのがM14の「Club Banger」。作品の性格上、ホントは明記しちゃヤバいんだろうが、J・ディラがお気に入りでよく共演していたというデトロイトのラッパー、ファットカットの同曲のアカペラを使ったものだ(正直に言うと元ネタがわからず本人に訊いた)。それを意識したか不明だが、その音はディラがまだジェイ・ディーを名乗ってた頃、ファーサイドなどに提供していたトラックや、Qティップと組んだジ・ウマーで制作した、ア・トライブ・コールド・クエストのラストアルバムに通ずると思う(ここでもう一度『Low Blend Theory』というタイトルを思い起こしてみよう)。要はいろんなエッセンスが溶けたヒプノティックな電子音とリズムのループが、小節ごとにフィルターを細かくかけていく事によって展開していくアレ。ラップとトラックの構造と切断面をこれでもかと見せつける、この曲はまさに「タイムスライス」そのものだと言っていいだろう。

あと、付け加えるなら、ラージはもちろん、とんでもなく傑作(で同時にカルト)なキエるマキュウの新作『Hakoniwa』にも言えるのだが、アイワがこしらえるビートもまた「頭が振れるヒップホップ・ミュージック」ということである。

6月30日に幡ヶ谷ヘビーシックで行われた本作の発売記念イベントで、アイワは自身が所属するゴッド・イート・ゴッド・ファウンデーションのメンバーとして出演したのだが(ちなみに共演はCARRE、エンドン、プレパレーション・セットなど)、飛び入りも含めたMCたちのバックで、彼はコルグのサンプラー、エレクトライブ・S一台でビートのループを流しながら、MCたちが吐き出す言葉に対峙するかのように、リアルタイムでチョップやエフェクトを施していた。その音捌きは絶妙で、時間を経るごとにテンションが高まっていくラップと相まって、僕はガッシガシに頭を振りまくり、その少ない脳みそを撹拌していた事は言うまでもない。

ただ、本作は未だちゃんと流通してないようで、今のところ、一体どう入手すればいいのか不明。しかし、なんだかよくわからないうちに作品が人の手から手に渡っていく感覚が、アイワがルーツとする90's地下ヒップホップの作品流通の在り方を彷彿とさせるし、何よりラージ・プロフェッサーだってそこから始まったんだと考えれば、それはそれで筋は通ってたりするのではと。だが、さすがに今は2012年。数曲の試聴とDLぐらいは出来ます


largepro.jpg aiwa.jpg
L:LARGE PROFESSOR『Professor @ Large』(Fat Beats/ディスク・ユニオン)
R:AIWABEATZ IS TYMESLYCE『Low Blend Theory』(BLEND-001)


声と音、ステージングにたくし込まれた毒気と違和感

1984年11月に千葉で結成。ケラが主宰していたナゴム・レコードを中心に何枚かの音源を発表。そして91年頃に自然消滅に近い形で解散した女性3人組、クララ・サーカス。僕がその存在を知ったのはその解散した頃ではないかと思う。当時ロフトが出していたビデオマガジン『ルーフトップ』のシリーズに、「オール・ザッツ・ナゴム」という巻があり、その中で数十秒だけだがライブ映像が流れたのだ。ケラの紹介ナレーションがかぶさるのでよく聴こえなかったのだが、ピアノの旋律と声、そして「♪つ~いた」という歌詞の語尾がとにかく印象的だった。

それから何年か経って「ミス・フラワー・バイシクル」という7インチEPをデッドストックの新品で買った。ニューウェイヴっぽいポップななサウンド(ザッとしているが当時はそんな気がした)好みだったが、その「♪つ~いた」は入ってなかった。それから、また数年経って発売された『ナゴム・ポップスコレクション』にも「♪つ~いた」は収録されてなかった。そして、いつしかその曲の事は忘れてしまった。そして、クララ・サーカスを知って20年以上経った今、活動当時のライブテイクや映像をCDとDVDにコンパイルした本作で、やっとその曲に出会えたのである。

タイトルは「ルンペンとラプンツェル」。ちゃんと聴いたそれは期待に違わぬ名曲だった。トモコによるピアノ。ミンコによるバイオリン。そしてユミルの高音ボイス。そしてライブ録音ならではの空気感も相まって、それらが織りなす簡素な響きに改めてやられてしまったのだった。ちなみに同じナゴムのたまの知久寿焼もカバーしていたらしい。

発見はそれだけではない。「ぼくは手ぶらで世界の果てまで」や「Epic」といった、その他の未発表曲(デモ音源などではあるかもしれないが)の素晴らしさ。楽曲の一部のプログラミングが、アニメ『キルミーベイベー』の劇伴仕事で、その健在ぶりを示したエキスポの山口優と松前公高だったこと(調べてみたら一連のクララ作品のレコーディング・エンジニアもやっていた)。そして何より特筆したいのが、前述したようにニューウェイブ上がりのネオアコだと勝手に思ってたクララサーカスは、実はまぎれもないパンクバンドそのものだったということだ。

あくまで、ピアノとバイオリン、そしてシーケンサーとの同期演奏。ギターとベースとドラムが騒々しく鳴るわけでも、叫ぶでもわめくでもない。だが、ピアノやバイオリンの旋律に対して、平然と音程がずれて行くユミルのボーカルなどに見られる、(本人たちも自覚している)不協和音の要素やその歌詞はもちろんのこと、DVD収録のライブ映像で見られるように、彼女たちが演奏者として醸し出している毒気が、パンクと同質の何かを放ってるのだ。特にNG&MCチャプターでのユミルの言動はそれを思わざるを得ないほど、自ら以外の他者や世界に対する違和感からくる苛立ちに満ち満ちているように思える。

とはいえ、クララ・サーカスが醸し出していた毒は決して時代を超えることがなかったように思う。僕は子どもだったから、1985~91年という時代の背景なんてのは知る由もないのだけれど。しかし、ユミルこと西岡由美子が90年代後半に岸野雄一ら京浜兄弟社系の面々と結成したサイケデリック・ロック・バンド、ザ・レスト・オブ・ライフや、ボーカリストとして参加した第2期ナスカ・カー。そして現在、ギター&ボーカルをつとめる自身のリーダーバンド、アメリコ!といったクララ消滅以後の活動は、それぞれの音楽性こそ違え、その声と音、ステージングにたくしこんだ言いようのない「違和感」と「毒気」だけは今もまだ放たれているような気がしてならないのだ。

klala.jpg
クララ・サーカス
Klara Circus LIVE 1985-1991
(Pedal/PDL-1201~2)





プンクボイが共演だったため観ていた、2009年9月5日/なんばベアーズでの超ナスカ・カーでの西岡由美子。バックのメンバーはオリジナルメンバーの中屋浩市、アシッド・マザーズ・テンプルの河端一、スズキジュンゾなど。ちなみに河端は以前やっていたバンド〈えろちか〉で、クララ・サーカスとともにナゴムのオムニバス『おまつり』に一緒に参加していた縁がある

互いの人間的資質からくる独特の捩れは「♯●●」みたいな常套のタグをなんとはなしに拒否する

とりあえず、先に言っとくとオススメしません出来ません。MCバトルの諸大会で話題になってるというラッパー、ハハノシキュウの初となるアルバムは好きか嫌いしか無い。ハマる人続出、併せてハマらない人も続出。もし「これを好きです」という行為が、自身のセンスやアイデンティティを問われるものだとするならば、本作に関して言えば100点か0点しか与えてくれないだろう。そもそも、こうして書いてる僕でさえ、本作に惹かれながらも、実のところ、よくわかってないまま書いてるのだから。

タイトルや曲名からしてそうなのだが、ハハノシキュウのラップは韻を踏んでどうこうというより散文詩的だ。ビートのまにまにどれだけ自分が言いたい事を詰め込めるかを争うが如く、筒井康隆や手塚治虫のシニカルな部分を隙間恐怖症的につめこんだようなリリックを奏でる。ラップするでも歌うでもなく、あくまでも「奏でる」なのだ。というのは、ハハノシキュウは「あ・い・う・え・お」という言葉そのもので発音するのではなく、その言葉の響きの部分でラップするからだ。母音よりも子音で、と言うべきだろうか。もちろん、それ自体は珍しいものではなく、むしろラップの世界では定石なのだろう。

しかし、ハハノシキュウが他と違うところはその何とも言えない声質だ。自身はそれをシューゲイザーに喩えているようだが、確かに単なる発声という範疇を越え、音響としてまさしくそれ。そこに陰鬱なブレイクビーツが絡むと、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのようにも聴こえるのだ。特にラストの「私小説」みたいに、バックトラックにリリックがおさまらなくて、最後にアカペラ状態でラップしている部分なんて、まるでケヴィン・シールズが弾くギターの残響音。

そんなハハノシキュウの独特の声を際立たせてるようなトラックを手がけたのは、沈黙を語る人ことナヲト・スズキ。3年くらい前から、その名義でラップを始めMCバトルに参加。アスベストやメテオのトラックも手がけている謎の人物である……なんて書いてみたが、DJフリークのレビューの際にも名を出したように(実は名前間違えてたけど)、かつてテクノブーム華やかりし90年代半ばより、ニコニコ殺人団として地下活動を始め、複数の名義で主に海外のレーベルからガバ/ハードコア(時にはアンビエントやミニマルハウスまで!)を大量にリリースしていた前歴、いや、初期ライブでの所業を観ていた者からすれば、立派な「前科」を持つ男なのだ。ちなみに本作の発売元に名を連ねている帝国レコーズは彼が当時からやっている個人レーベルである。

だからというわけもないが、その関係性はゴッド~(ソニック・ブームや前出のケヴィン・シールズとの)エクスペリメンタル・オーディオ・リサーチなどを渡り歩いたケヴィン・マーティンが、元ナパーム・デスのジャスティン・ブロードリックと結成したテクノ・アニマルで元カンパニー・フロウのエル・Pとコラボする、という散在していた点が自然に結びついていった様と、インダストリアルな音の質感も含め共通したものを感じる。

それはともかく、シンプルな日本語ラップ・アルバムだ。本人たちもそのつもりで作ってるはず。しかし、その間で交わされるキャッチボールは、ナックルやスローカーブみたいな捕りづらい変化球をこれでもかと投げあってるかのよう。その互いの人間的資質からくる独特の捩れは「♯●●」みたいな常套のタグをなんとはなしに拒否する。かといって、90年代後半にECDや高木完らが示した「外れる事がヒップホップだ」という逆説的賛辞さえ有効ではないだろう。 そもそも、彼らのように内側にいた事が無いのだから。バズれることもなければハズれることもない、常に境に引かれた線を遊び半分で行ったり来たりする冷たい音楽。

hahano.jpg
ハハノシキュウ
『リップクリームを絶対になくさない方法』
(君の嫌いな物語/帝国レコーズ)




常に出てくる言葉は「だから、なんなんだよ、これ?」

ハイプ・ウィリアムスは存在だけ前から知っていた。といっても音そのものは聴いたことがなく、ネット上に転がるアーティスト写真の画像のみ。いくつかバージョンがあるのだが、僕が引っかかったのは、車の後部座席に座って、煙を吐いて完全ストーンしてる黒人の男(ディーン・ブラント)。そして、その隣りで受動喫煙のせいかは知らないが、あらぬ方向を見ている無表情の白人の女(インガ・コープランド)。
「なんだよ、これ?」

そして、ハイパーダブからのアルバムリリース前にプロモ的にばらまかれた、未発表曲/バージョンを中心に収録したフリーアルバム『The Attitude Era』で彼らの音に初めてちゃんと触れたとき、その思いはさらに高まった。シンセドローンにピアノが思い出したようにポロンポロン鳴る曲。「ヘイヘイ!」というかけ声と「バ~ニングラ~ヴ」というコーラスのサンプルボイスにアッパーなリズムが付け加えられた狂躁的な曲。ブラックメタルをサンプリングしてスクリューしたような曲。かと思えば、美しく幻想的なボーカルが際立つ曲などがごちゃまんと33曲90分。
「だから、なんなんだよ、これ?」

ドナ・サマーを名乗っていたジェイソン・フォレストがマウス・オン・マーズのソニグから出した時の如く、同名のヒップホップ系PVディレクターの手前(?)、まんまメンバー名の名義で出した、前述のハイパーダブからのアルバムを聴いてもその印象は変わらない。収録曲の中で唯一題名がついているM-1"Venis Dreamway”からして、厳かにシンセが鳴るなか、場違いなまでにフリージャズみたいな荒々しいドラミングが。そしてM-9では変調された「デペロッパー」という声が意味も無くループする。曲の展開も含め、徹底的に唐突でナンセンスで抽象的。

とりあえず機材を立ち上げ、適当にいじり回す。なんかいいフレーズが出たらシメたもの。気分によっては、これまた適当に生楽器をプレイしたり、自分たちのボーカルを被せてハイ一丁上がり! いや、もちろん、彼らの曲作りがそういうものかはわからないし、恐ろしく生真面目に作ってる恐れもあるのだけれど。

ちなみに2年前のインタビューによると、彼らはスロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテール、23スキドゥーなどを好んで聴いていたようだ。ただ、あそこらへんの「しっかりはしてないんだけど、それはそれで成立している」というものよりも、その一丁上がり感覚において、(ほんの数枚しか聴いたことないのに引き合いに出すのもなんだが)LAFMSが長年生み出す、どこかマヌケかつ素っ頓狂なフリー・ミュージックの方に近いのではないだろうかと思っている。

マヌケと言えば、ハイプ・ウィリアムスが参加した、南アフリカのご当地ダンス・ミュージック「シャンガーン」のリミックス盤もまたそうだ。要はポンチャック同様、カシオトーン一台で作ったような、あのスットコ感あふれるグルーヴをいかに料理するかであり、ほとんどの参加者たちがビートに焦点を当てるなか、彼ら(とデムダイク・ステア)だけは原曲の構成要素というより、メロディとビートの間に漂う空気感を捉えているように思える。よって出来たものは、原曲を踏まえてはいるんだが、結果論として「自分たちの音楽」にしかなっていないのだ。いや、それ以前の問題にハイプ・ウィリアムスはホントに「自分たちの音楽を作ってる」連中と言い切れるだろうか。実は既に在る音楽をエフェクターに通してでっち上げてるだけなのではないか、そんな気持にさえなってくる。

最近のインタビューでブラントはラップについて訊かれ、「嫌い。俺の今までのベストは(オアシスの)『(What's the Story) Morning Glory』だ」と答えてる。「ウソこけ!」と思う。でも、同時に「ホントかも?」とも思う。人間とは他人をケムに巻いてナンボ、巻かれてもまたナンボ。ディーン・ブラントとインガ・コープランドが生み出すものは、まさしくハイプ──「嘘、大げさ、まぎらわしい」なのである。JAROってなんジャロ? 知らない。

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L:DEAN BLUNT AND INGA COPELAND『Black Is Beautiful』(HYPERDUB/ビート BRHD012)
R:V.A.『Shangaan Shake』(Honest Jon's HJRCD58)



フラッシュとハーシュノイズの中をロードランナーで走る男。今年4月のマドリッドでのライブ。相関性は不明、全く不明
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Author:RECORDer
PRE//SILENTNOISE主宰者。
RECORDer編集長。
ひとりE.A.R.(永遠に丁稚)

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